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企画展『植物学者・牧野富太郎の足跡と今』
 植物学者・牧野富太郎の生誕150周年によせて
門田裕一

昭和天皇のウスユキソウ標本(昭和記念筑波研究資料館所蔵)
昭和天皇のウスユキソウ標本
(昭和記念筑波研究資料館所蔵)

平成24年は植物学者、牧野富太郎博士の生誕150周年に当たり、国立科学博物館では高知県立牧野植物園(高知市)と共催で、企画展『植物学者・牧野富太郎の足跡と今』を開催しています。

この企画展では、牧野が成し遂げた業績そのものを紹介すること、そしてそこに留まらず、彼の精神が現代にどのように受け継がれているか、という2つのテーマを柱としています。牧野は活発な文筆活動を行い、科学的な著作ばかりではなく、啓蒙的なものも数多く発表しています。同時に、人との実際の交流を重視し、全国各地で植物観察会を実施しています。この観察会は相当のインパクトがあったようで、各地に残された記録を紐解くことで、私たちはそれに触れることができます。実際、牧野の影響を受けた植物同好会が日本各地で今でも活動を続けています。牧野はまた、芸術の香りの高い、精密な植物画を得意とし、この面でも多くの弟子を育てています。牧野の植物画はそれまでの「植物を描いた絵画」とは一線を画するものでした。その大きな違いは科学的な知識に裏付けられたものであることで、牧野式と呼ばれています。これは、日本におけるボタニカルアートの源流といえるものでしょう。

現代の研究、教育普及活動、そして植物画に牧野がどのように影響を与えているのかが本企画展の大きなテーマです。その中身は是非企画展そのものを見ていただくことにして、ここでは私がこの企画展の準備に関わって、印象に残ったことをご紹介したいと思います。

<上京した牧野富太郎>

人がその一生を捧げることを決意するのはどのような瞬間でしょうか?牧野の場合は初めての上京の時にそれが訪れました。

明治14(1881)年、土佐国佐川村(現、高知県佐川町)出身の牧野は弱冠19歳で上京を志します。目的は東京で開かれている第二回内国勧業博覧会の見物と顕微鏡や書籍の購入、そして当時の文部省の要人に会うことでした。佐川を旅立った牧野は、お供を連れて徒歩で高知に向かいます。高知からは海路神戸にたどり着き、その後陸路東京を目指します。ようやく到着した当時の東京の光景に胸はときめいたでしょう。しかし、牧野は見物や買い物だけでなく、人に会うという目的をもっていました。実際に会えるかどうか、胸中は不安で一杯だったでしょう。

しかし、この重要な目的は意外に容易に達成できたようです。文部省博物局を訪問し、田中芳男と小野職もとよしに会うことができたのです。面会が叶って両名に対して思いのたけを伝えます。田中と小野は牧野が片田舎にあってなおよく勉学に励んでいることに感心し、これからもがんばるようにと温かい言葉をかけます。この言葉が牧野を勇気づけたに違いありません。人生の局面は人との出会いで決まるものなのでしょう。

この後、本格的な研究活動に邁進し、めきめきと頭角を現し、数多くの業績を成し遂げます。が、奔放な性格もあって、その道程はいろいろな意味で苦難の連続でした。困難な局面に出会うたびに田中と小野との出会いを思い出し、克服していったのだろうと私は想像しています。

早春の皇居吹上御苑
早春の皇居吹上御苑

<牧野と昭和天皇>

牧野は数多くの学問的業績を上げましたが、やり残した仕事は多々あったと思います。学問とはそういうものです。しかしながら、彼は満足してこの世を去ったことでしょう。学問上の業績は同時代の人々には受け入れられることは少なく、後代の人々により評価がなされるのが普通です。同時代にあっては、誰に自分の研究が認められるかが大切だろうと思います。人は誰かに認められることに喜びを感じるからです。明治の人牧野にとって、その「誰に」とは昭和天皇であったのではないでしょうか?

一般には公開されていませんが、国立科学博物館の昭和記念筑波研究資料館(茨城県つくば市)には生物学者としても著名な昭和天皇が蒐集された各種の標本が収蔵されていて、数千点の植物押し葉標本もその中に含まれています。これらの植物標本は専門家によって鑑定され、台帳に記録されています。この台帳によると1番から900番までの標本は牧野による鑑定と分かります。つまり昭和天皇の植物標本を専門家として最初に鑑定したのは牧野だったのです。図1はその例で、栃木県那須で採集されたキク科のウスユキソウ(日本版エーデルワイス)です。標本の右下に貼られたラベルには、「MAKINO DET. No. 451」とタイプされ、牧野が鑑定した451番目の標本です。これが牧野と昭和天皇の第一の接点となったのでしょう。

昭和天皇は激務の間をぬって皇居のお庭の散策を楽しまれました。牧野図鑑をポケットに忍ばせておられたそうです。陛下は、著書を通じて、牧野を植物学の師として尊敬されていました。いわば、お二人は相思相愛の仲にあったといえます。そして、昭和23(1948)年、陛下へのご進講が実現します。時は10月7日、牧野富太郎、86歳の時でした(この時のために牧野が誂えたフロックコートが本企画展に展示されています)。お二人はお庭を散策しながら、植物談義を楽しまれたことでしょう(図2)。晩年にあって、この時が、幸せの絶頂にあったと思われます。

本企画展の期間中の2月24日には、『現代に生きる牧野富太郎:企画展にまつわるあれこれ』として講演会を予定しています。高知県立牧野植物園の田中伸幸さんと私の二人で話をいたします。興味をおもちの方は是非お出で下さい。

(かどたゆういち・国立科学博物館植物研究部)

 


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