
トウホクノウサギ
因幡の白兎、かちかち山などの昔話には、うさぎが登場します。この主人公は、みなさんの見慣れたうさぎ、家庭や学校で飼っている飼いうさぎではありません。日本にはじめての飼いうさぎが渡来したのは室町時代といわれています。江戸時代になって長崎出島のオランダ人が殖やして売り出し、各地で普及したようです。
日本に飼いうさぎが来るまでは、日本人にとってうさぎといえば、野山にすんでいる野うさぎのことでした。鳥羽僧正の鳥獣戯画で蛙と戯れるうさぎも、野うさぎです。それがいつのまにか、うさぎは飼いうさぎをさすことばになり、それまでうさぎと呼ばれていたほうは野うさぎと呼ばれるようになったのです。
ヨーロッパには昔から飼いうさぎの祖先である穴うさぎと野うさぎの両方が生息していました。人々はこの二種を別の動物として扱ってきました。だから英語で野うさぎはヘア、飼いうさぎや穴うさぎはラビットと、別の名で呼んでいるのです。野うさぎは雪のたくさん降る北国のものは冬になると毛の色が白くなります。真っ白な毛は、雪のなかでの保護色になるのです。でも、東京で飼っていても冬になると白くなります。野うさぎは冬の到来を雪景色や寒さで知るのではなく、日の長さが短くなることで知るのです。
うさぎが走るとき、耳は風になびくようにねかせているでしょうか。絵画に描かれた走るうさぎや漫画のなかで一目散に走り去るうさぎの耳に注目してください。うさぎは走るときはしっかりと耳を立てています。夜行性で普段昼間は物陰でじっとしているうさぎが走るときは最も天敵に狙われやすいときなのです。あの大きな耳はアンテナの役割があり、危険を冒して走らなければならないときはアンテナをいっぱいに広げ立てなければならないからです。
うさぎは哺乳類なのに、鳥のように一羽、二羽と数えることがあります。昔は仏教の教えから、鳥は食べても、獣は食べることを禁ぜられていたのです。でも、農家のまわりには野うさぎがいて、わなにもかかります。そんなとき一羽二羽と数えて鳥とみなして食べました。
日本人は白くて目の赤い動物というイメージをうさぎに抱いています。これは明治時代から昭和初期まで日本白色種という目の赤いアルビノの白い飼いうさぎが盛んに飼われたためです。日本白色種は寒い戦地に行く兵隊さんのために雪のなかでも目立たない白い防寒着や耳あて用の毛皮をとるための品種だったのです。毛皮を採った残りの肉も缶詰にされ兵隊さんの食用になりました。
左より、フレミッシュ・ジャイアント、ロップ、ネザーランド・ドワーフ
欧米ではうさぎの肉をよく食べますから、フレミッシュ・ジャイアントのように七sを超すような巨大うさぎも作られました。実は日本でも日本白色種の大きな個体を掛け合わせて巨大な白うさぎが作られました。正式には日本白色種秋田改良種という長い名前が付いていますが、一般には秋田ジャンボと呼ばれています。秋田ジャンボが飼われている秋田県大仙市中仙町では、今では毛皮や肉をとるというよりは、大きさを競うペットとして大事にされています。毎年秋にジャンボうさぎフェスティバルが開かれています。今まで十一sというのが最も重たい記録でした。
子ども動物園には最大の秋田ジャンボ、最小のネザーランド・ドワーフ、たれ耳のロップ、真っ白な日本白色種など色々な飼いうさぎが飼われています。
野うさぎは冬に白くなる北国の野うさぎと、冬でも茶色いままの地元の野うさぎが小獣館に居ますので、見つけてください。
(こみやてるゆき・上野動物園長)
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