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松坂屋四〇〇年を記念して

石野学

「名所江戸百景・下谷広小路」初代歌川広重

「名所江戸百景・下谷広小路」初代歌川広重

松坂屋は本年、創業400周年を迎えました。100周年を昨年に祝ったばかりなのに、なぜ?と不思議に思われた方もいらっしゃるかもしれません。実は、2010年は松坂屋がデパートメントになってからの100周年であり、今年2011年は松坂屋の始まりである呉服商の創業から400周年という節目の年になります。創業400年企業は世界的に見てもそう多くはないそうで、国内の百貨店としてはもっとも歴史があります。これもひとえに皆々さまのおかげと、厚く御礼申し上げます。

「名所江戸百景・下谷広小路」初代歌川広重

左:1929年上野本館完成
 右:上野戦争の弾痕をとどめる看板

そもそも松坂屋は1611年、信長に仕えた小姓伊藤蘭丸祐道が本能寺の変の後商人となり、尾張名古屋に開業した呉服小間物問屋「伊藤屋」にはじまります。

1768年、上野の「松坂屋」を買収して、花のお江戸に進出。今でいう「M&A」の先駆けであったと言えるでしょう。ところが上野では当初かなり苦戦をしいられたとか。価格を見直し土地柄にあった商法にきりかえるなど努力の甲斐あって、寛永寺や浅草寺、その末寺の全坊70数寺、僧侶千数百人の法衣等の注文を受けるまでに信用を得たといいます。寛永寺の御用がかない、ようやく商売が軌道に乗ったと伝え聞いております。

江戸後期の絵師、歌川広重の「名所江戸百景・下谷広小路」に松坂屋が現在とまったく同じ場所に描かれています。上野戦争では西郷隆盛が訪れ、新撰組の土方歳三が幼少時に丁稚奉公をしていた記録があり、たびたび歴史の中にも登場してまいりました。上野戦争の弾痕が残る当時の看板は残念ながら実物は関東大震災で焼失しましたが、今も写真に残っております。

広重画には松坂屋の暖簾も色鮮やかに描かれています。江戸から明治にかけて呉服店の暖簾は紺地が一般的でしたが、松坂屋は赤地と黒地の二通り。文豪夏目漱石に「乙つば鳥くろや赤い暖簾の松坂屋」と詠まれるなど、赤い暖簾はたいへん印象深かったようです。日本におけるコーポレートカラーのはしりとも言えるかもしれません。なお、現在の本館建物は、漱石の義弟の建築家・鈴木禎次が設計したものです。

大正から昭和にかけても松坂屋の進取の気風は遺憾なく発揮され、日本で初のエレベーターガール(昇降機ガール)、日本で初の「お子様ランチ」、日本で初の地下鉄直結の入口(銀座線)等、「日本で初めて」を果敢に取り入れたのです。そしてその都度、大きな話題になり、店は多くのお客様でにぎわいました。

左:さくらパンダ 中央:「お子様ランチ」登場 右:百貨店初のエレベーターガール
左:さくらパンダ
中央:「お子様ランチ」登場
右:百貨店初のエレベーターガール

現在も、さまざまな楽しい試みに取り組んでおります。2007年3月に誕生した「さくらパンダ」は、上野のパンダと桜をモチーフにした松坂屋オリジナルキャラクターで、上野の街を越えて日本国内、さらには海外でも人気者となって親しまれております。

今春は上野動物園にまたパンダが戻ってくるというニュースがとどき、大変喜んでおります。

パンダ公開を記念して、上野松坂屋ではさまざまなイベントを展開いたします。上野動物園のパンダのパネル展や様々なパンダキャラクターグッズフェア、デパ地下でパンダスイーツやパンダぱん、などの限定発売、屋上にパンダ歓迎のアドバルーンを上げる予定もございます。もちろん、さくらパンダグッズの記念限定品も発売いたします。

松坂屋には、親子代々にわたりご贔屓くださるお客様や毎日のようにお越しいただくお客様がたいへん多く、誠にありがたく感謝しております

これからの400年も、松坂屋大好き、と言っていただけるように、努力を続けて参ります。この春はぜひ、上野動物園と松坂屋へお出かけください。心よりお待ち申し上げております。

(いしのまなぶ 松坂屋上野店店長)

 


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