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女流噺家創生記

古今亭菊千代

手話 頑張のポーズ

手話 頑張のポーズ

 毎年寄席の日が近付くと色々なことを思い出します。二十六年前のこの頃、たぶんその当時は寄席の日と称して特別に何かをということはしていなかったと思いますが、私はちょうど会社に辞表を出し、師匠円菊の追っかけをしながら弟子入りの機会を狙っていた頃でした。ついに師匠のお宅まで押しかけて一応入門の許しは得たものの、まずは気の変わらないうちに母親を逢わせてしまおうと、鈴本演芸場に行きました。師匠の高座のあと、出てくるのを待って母に挨拶させて、その後どうしたのかはまったく覚えていないのですが、ただ、三人で立ち話をしている時に金原亭伯楽師匠が通りかかり挨拶された事、師匠の高座の前に柳家さん喬師匠が「初天神」をなさった事だけは昨日の事のように目に浮かびます。

 さん喬師匠の噺を聴きながら私もあすこに座れる日が来るんだ!とドキドキしました。大学時代落語研究会であっちこっちの寄席に行っていた時分は、女は絶対落語家になれないと言われていたので、まさかこの鈴本に、末広亭に、浅草演芸ホールに、池袋演芸場にそして国立演芸場に自分が出ることになるなんて思ったこともありませんでしたが、噺家になれると決まってからのあの日の高座は特別なものでした。そして母もその日からすっかり落語にハマリ、師匠が大好きになり、私の修業にも全面的に協力体制で応援してくれました。

 寄席の日に続いて下席に行われる寄席デイ.. 毎年六月下席二十一日から三〇日までと十一月中席十一日から二〇日に行われています、各噺家が夜席一日を借りて自分の会をします)開催が決まったのが二十二年前、まだ二ツ目だった私に、うちで自分の会をやらないかとお席亭から声をかけていただいたときには狂喜乱舞でした。早速母に報告すると、「すごいじゃないの、一回目のゲストはなにが有っても師匠にお願いしなきゃね」。まるで自分がプロデュースするかのごとく張り切ってくれました。ところが、それから母は体調を悪くして急遽入院、私はチラシの版下作りも稽古も全て病室でする羽目になりました。そして五月二十六日にわずか四十日の入院で亡くなってしまい、とうとう母にはその記念すべき第一回目の鈴本寄席デイ「菊千代バラエティ笑」を観てもらえませんでした。けれども、あれからくじけることなく続けてこられたのは、母がずーっと天国で見てくれているからだと思います。

 今年も第二十一回「バラエティ笑」を開催しますが、空の上で「ああしなさい、こうしなさい」と色々クレームをつけていたり、「お願い行ってやってよ」と知り合いの枕元に立ってたりしているのではないでしょうか。

(左)前座時代、鈴本演芸場の楽屋にて (右)圓菊師匠と初めてのたびのお仕事、高松で

 三月十一日以降、日本が変りました。色々なものに対しての有り難さをしみじみと感じる事も多くなりました。有るのが当然と思っていたものが無いというのはこれほど大変なことなのかとつくづく感じました。

 あの直後、自粛ムードの中で淡々と変らず興業を続けた寄席は、行き場の無い寂しさ、ぶつけられない不安や悲しみを癒す唯一の場所だったのではないでしょうか。それは、来てくださったお客様のみならず、出演者も同じだったと思います。あの時ほど、寄席に出ていない自分が悔しかった事はありませんでした。自分に出来るのは落語しかないのに、押しかけて行って「落語やりますよ」ということが出来ない時期に、唯一求めてくれる人たちが集まる場所なのに、なんで私は出ていないんだ!と。

 被災地の方々へのケアーも場所によってドンドン変ってきました。さあ!そろそろ出番だ!と演芸部隊があちらこちらに伺っています。こんな時こそ笑って少しでも気分を晴らしてもらえたら…とみんな一生懸命です。四月の十一日から始まった落語協会復興支援プロジェクトはやはり寄席を拠点に、寄席前での募金活動と、チャリティ寄席を行い、長い長い支援活動を予定しています。大事な大事な寄席は、誰よりも噺家にとって大事なところなのです。

(ここんていきくちよ・落語家)

 


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