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「空海と密教美術」展

丸山士郎

国宝「両界曼荼羅図?? 西院曼荼羅)」
平安時代・9世紀京都・教王護国寺?? 東寺)蔵 展示期間?胎蔵界:7月20日から8月21日、 金剛界:8月23日から9月25日?※写真は胎蔵界

国宝「両界曼荼羅図?? 西院曼荼羅)」
平安時代・9世紀京都・教王護国寺?? 東寺)蔵 
展示期間?胎蔵界:7月20日から8月21日、 
金剛界:8月23日から9月25日?※写真は胎蔵界

 弘法大師空海は、七七四年に讃岐国(現在の香川県)に生まれました。七九一年に官吏になるために大学に入学しますが、退学して出家します。八〇四年に遣唐使の一員として唐に留学し、長安の都で師の恵果に出会います。恵果が没するまでの十箇月間のうちに、空海は密教教義の全てを授けられます。恵果は「真言密教の教えは経典だけでは理解することが出来ず、図画をかりて伝える必要がある」と言い、両界曼荼羅や密教祖師図、経典、仏具などを造って空海に授けました。その言葉に従って空海も造形を重視し、そのため密教美術には優れた作品が多く残ります。

 展覧会は四章で構成され、空海所縁の作品と、空海同時代、あるいは空海の思想の息吹が濃く残る九世紀の作品を中心に密教美術の名品を紹介します。

 第一章の主題は「空海−日本密教の祖」です。空海の肖像画や活動を描いた絵巻、空海の出家の宣言書ともいわれる「聾瞽指帰」(カラー頁)という自筆の著作などを展示し、空海の人物像を紹介します。

 第二章は「入唐求法−密教受法と唐文化の吸収」です。空海は帰国直後に唐での活動内容や、持ち帰った文物をまとめた報告書を朝廷に提出します。ここでは、そこに記載される仏像、絵画、仏具を中心に、当時の中国の文物なども展示し、空海が中国で学んだことを紹介します。

東寺講堂の諸像8体による仏像曼荼羅(イメージ)
全て平安時代・承和6年(839)京都・教王護国寺(東寺)蔵
東寺講堂の諸像8体による仏像曼荼羅(イメージ)
全て平安時代・承和6年(839)
京都・教王護国寺(東寺)蔵

 第三章は「密教胎動−神護寺・高野山・東寺」です。空海は留学を二年で終え、八〇六年に帰国します。八〇九年に京都近郊の山中にある神護寺(当時は高雄山寺)に入り、密教布教の活動を開始します。八一二年に、人々が密教尊と縁を結ぶ結縁灌頂という儀式を日本で初めて行いますが、「灌頂歴名」は空海自筆のその記録です。恵果から授けられた両界曼荼羅は、空海の指導の下にいくつかの模写が造られますが、そのうちの一つである神護寺の高雄曼荼羅は、絵画作品としては現存最古の両界曼荼羅で、縦横が四メートルを超す大幅です。

 空海は、八二三年に平安京の東寺の経営を任されると、講堂に二一体の仏像による立体曼荼羅を造りました。十五体の仏像が現存しますが、今回はそのうちの八体が出品されます。菩薩像は、精悍な顔立ちや筋肉質な身体表現が特徴で、それは密教発祥の地であるインドの彫刻の表現を取り入れたものです。明王像は、多くの顔や目、腕、脚を持ちます。当時の人々はその奇怪な姿に驚いたに違いありません。東寺の立体曼荼羅が完成したのは八三九年のことですが、空海は八三五年に高野山で入定しますので、完成を見ることはありませんでした。

 第四章は「法灯−受け継がれる空海の息吹」です。空海が入定した後も、その教えは弟子たちに引き継がれます。ここでは弟子たちが新たに中国から持ち帰った作品や、製作にかかわった作品を展示し、空海後の密教美術の様相を紹介します。

(まるやましろう・東京国立博物館博物館教育課教育講座室長)

 


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