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明治東京地震 大迫正弘

上部が崩れ落ちた本所の工場煙突(国立科学博物館所蔵)

上部が崩れ落ちた本所の工場煙突(国立科学博物館所蔵)

1894(明治27)年6月20日の午後2時4分、東京湾を中心とする一帯が強い地震に見舞われました。これは明治東京地震と名づけられていて、その大きさを示すマグニチュードは7、震源は東京湾北部の下にありました。いわゆる都市直下型の地震で、東京東部と横浜を中心に死者31人が出るなどかなりの被害を生じました。その頃の東京には文明開化の象徴ともいえるレンガ造りの建物が増えていました。死者の多くはそのような新しい建造物の倒壊によるものでした。また、レンガ造りの煙突の破損や倒潰が多く、それが目立ったためにこの地震はまたの名を煙突地震ともいわれました。

国立科学博物館には、明治東京地震の写真が20枚ほど保管されています。その半数以上は壊れた煙突の写真です。当時の地震の報告書にある図と照らし合わせてみると、写っている煙突や建物を同定することができます。四つ切りの大きなガラス乾板(消失)から密着焼きした写真なので解像度はよく、拡大すると煙突を作っているレンガの一つ一つが見えてきます。また、何か啓発に使ったのでしょうか、同じ写真から作られ着色したガラス板の幻灯が残っています。ここに掲げた煙突の写真は当時九段で開業していた鈴木真一写真館によるものです。煙突のような縦に長く伸びた被写体を周りをうまくとりこんで構図に入れるのは写真師の腕の見せ所であったのでしょう。また、当時の小菅刑務所内でレンガを焼いていた窯の煙突の写真もあります。東京ならこの地震被害の写真がほかにも残されていておかしくないようですが、明治東京地震の写真が出てきたという話はいまのところ聞きません。そうなると、国立科学博物館所蔵のこの写真は当時の地震被害の様子を今に伝えている貴重な資料ということになります。

1923年(大正12年)9月1日におきた関東大地震では、東京・横浜を中心に死者10万人というわが国災害史上未曾有の被害がもたらされました。それがあまりに大きかったためか、明治のこの地震については語られることが少なくなったようです。1923年の関東地震は相模湾から房総半島の南を震源とするプレート境界(海溝型)の大地震で、その繰り返しの期間は200年以上と考えられています。とすれば次の関東大地震は100年以上先のことになり、差し迫った脅威ではないとされています。

当時築地にあった立教大学の校舎の被害(国立科学博物館所蔵)

当時築地にあった立教大学の校舎の被害(国立科学博物館所蔵)

ところで、6年前の2005年7月23日の午後におきた千葉市付近の下を震源とするマグニチュード6・0の地震(千葉県北西部地震)のことを覚えておられる方も多いかと思います。このとき東京の震度は最大で5強で建物の倒壊などはほとんど出なかったものの、電車が長い時間止まり、人がエレベーターに閉じ込められるなど、かなりの混乱がおこりました。今年3月の東日本大震災のときも東京で同じようなことがありました。それよりも規模の大きいマグニチュード7級の地震が東京の真下で起きたなら、それによる大混乱は想像に難くありません。

関東地震のような海溝型の大地震よりも一回り小さいマグニチュード7級の直下型地震のほうが繰り返す期間は短いとみられ、地震研究者や防災関係者の注目するところとなっています。その過去の例として1894年の明治東京地震と1855年の安政江戸地震がとりあげられ、ここにきて多くの調査研究がなされています。明治東京地震の震源の位置については東京湾の北の端付近と推定され、地震の規模はマグニチュード7をやや下回るというのが大方の示すところです。震源の深さについては地下40qから80qまでとかなりの幅があり、まだ結論は出ていないようです。当時の記録を使い震源の深さを求めようとしても、地震観測点が少なかったことと、地震計そのものの性能が低かったために不確かさが大きくなってしまいます。震源の深さは被害の程度と関連があり、同じ規模の地震でも震源が深ければ遠くで起きたのと同じことなので、揺れは小さくなります。国立科学博物館には明治東京地震の記録の一つが展示してあります。ガラス円盤に記録を取るものですが、地面が揺れ出すと円盤が回り始めるようになっていました。これでは肝心の揺れはじめのところの記録が欠けてしまいます。また地震計の心臓部である振り子の余計な動きを押さえる仕組みがついておらず、計器としてはまだ不完全なものでした。

一方、ナマズ絵でも知られている安政江戸地震では江戸市中で4千人あまりの死者を出し、壊れたり焼けたりして失われた家屋は1万4千棟という、わが国の災害史の中でも大きな被害となりました。揺れの範囲や被害の程度からみて地震の規模は明治東京地震より大きくてマグニチュード7を少し上回り、震源はやはり東京湾北部にあり、その深さについてまだ何ともいえない、ということのようです。

科学・技術が発達し私たちの生活が便利になる一方で、地震という自然の脅威に対してその基盤はむしろ脆くなっているという現実を、このところの地震によりあらためて知らされました。地震はいつか必ずおこり、防ぎようがありません。

明治東京地震や安政江戸地震のような首都圏直下型の地震の発生確率は向こう30年間で70%ともいわれています。直下で起こる地震に対しては緊急地震速報を聞いてから行動を起こす暇などほとんどありません。いったん起きたときのことを考え普段から備えをしておく、ということが今できる最善の対策でしょう。

(おおさこ まさひろ・国立科学博物館・理化学グループ長)

 


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