
左:良雄討入当夜の金短冊・子葉愛用の木刀 右:其角筆:討入記
師走の声を聞くと、何とも気忙しくなります。神社では年末年始を迎える準備が進められ、
神苑の真ん中に大篝かがり火の薪が組まれ、社頭には.茅の輪が設置されます。お札、お守はもちろん、、宝舟、絵馬など、次々に奉製し、氏子の家庭には、伊勢神宮の大麻や氏神様のお札が配布され、崇敬会の方々にも、医薬祖神の神符が郵送されます。その様な中で迎える十四日は恒例の、赤穂義士を偲ぶ行事が催されます。
各々に思いはあるかと存じますが、私にとっての義士祭は、遺品をひとつ..大切に並べたり、仕舞込む先代の後姿とその傍で花を活け込む亡き母の姿です。
当社では、参集殿の二階に、神社に保存されている赤穂義士の遺品が展示されます。その品々は、
○義士遺墨拓本
.. 義士の手紙等を拓本にして巻物に納めたもので二巻あります。義士を偲んで作られたもので、その数も少なく、震災を免れて現存する物は貴重だと云われています。
○喜誉の巻
.. 歴史上有名な人々の書いたものを集めた巻物でこの中に良雄の辞世があります。仲町の故守田宝丹翁よりの寄贈です。
○豊春筆版画討入りの図
.. 歌川豊春が描いた、吉良邸室内の戦いの様子です。
○良雄筆歌入りの書翰
.. 良雄真筆の手紙です。討入り当夜使用の鉄製提灯具・鉄製の提灯の枠で置く事も架ける事も刺す事も出来る様になっています。
○子葉愛用の木刀
.. 大高源吾が懐中していたという短い木刀で、その側面に”人きれば我も死なねばなりませぬそこでご無事と木脇差しさす”と書いてあります。
○良雄討入当夜の金短冊
.. 大石内蔵助良雄と書いた名札で、裏には元禄十五年十二月十四日討死と記されています。
○大石良雄版画像記.. 良雄の姿と添え書です。
○討入り当夜使用の手槍.. ごく短い槍で室内用に適しています。
○忠臣蔵絵巻
.. 作者、年号は不明ですが討入りの時、服装は火事装束で芝居の様に派手なものではない事が伺い知れます。
○大高源吾筆船宿の看板
.. 縦二メートル×幅五〇センチ位の大きな物でしたが、戦災で焼失しました。「むさしや」と大書され、昭和六年上野の松坂屋で遺品展が行なわれた時の写真が残っています。
○吉良家見取図
.. 後世法要の時作られた物で、この図によると炭小屋は屋外でなく屋内真中の炭部屋である事、又、若手と老人が各々組を作って討入りした事も良く判ります。
○忠臣大石家系図
.. 右に同じく参考品です。
その他参考にと展示される物は、弓類、太刀類、袖絡み、火縄銃等々多数に亘ります。

討入射会
討入射会は、現在では都内近県の義士を称える射士が多数集り、好みの義士の名入りの襷をかけて定刻(本来は十五日午前四時頃から二時間余りの出来事とされていますが、当道場では十四日午後六時)に討入の太鼓(本来はドラのようです)を合図に奉行役と矢渡しの射士が祭壇の前に進み始まります。其の矢渡し、即ち討入の作法は特異で、毎年男女交替で(今年は男性)選ばれた射士が開会を宣した奉行の采配に従い、各自一本、順次声を上げ、エイ・エイ・エイ・エーイと射込みます。矢渡しとは、弓道の行事が行なわれる時、始めにする射法で、普通は一手(矢二本)ですが、当日は合図として一本です。
続いて順に射士が打入り、射の後には祭壇に玉串を奉り鎮魂します。(的中者には”討入の雪”なる賞が出ます。)
遺品を拝観し、討入りそばに茶碗一杯のお酒、また来年の参加を誓い合い親睦を重ねます。遺品や行事を拝観して義士を偲ぶ夕、如何でしょうか。
(しざわすみえ・五條天神社宮司)
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