
「黒白相変」
青山杉雨筆昭和63年(1988)
東京国立博物館蔵(図2)
青山杉雨とは
青山杉雨は、間もなく年号が「大正」に変わる一九一二
年(明治四五)六月、愛知県に生まれました。幼少時に東
京に移り住み、書家の大池晴嵐(おおいけせいらん)から書の手ほどきを受けます。百貨店の筆耕などで生活しながら書作を志し、一九三八年(昭和十三)、当時の全国的な書道展であった泰東書道院展に入選、新進の書家として頭角を現します。第二次大戦中の一九四二年から書家で書道史研究者の西川寧に師事し、中国古代の金石文の世界を深く知る事で、大戦後その書風は大きく変化します。以後、中国書法の伝統を基盤としながらも、現代的感覚にあふれた作品を連年発表し、書の世界における評価を確立します。
実作のかたわら、大東文化大学で教鞭を取るとともに、師西川寧等が設立した謙慎書道会の理事長を務めて、後進の指導にも力を尽くしました。また、一九五〇年代からは写真による書の普及を思い立ち、自ら『近代書道グラフ』(後に『書道グラフ』)という写真主体の雑誌を主宰し、亡くなる直前まで古今の作品や新出の資料を紹介し続けました。
これらの功績によって、日本芸術院会員、文化功労者となり、一九九二年(平成四年)には文化勲章を受章しましたが、翌年八一歳で逝去しました。本年は生誕百年に当り、亡くなってからもそろそろ二十年が過ぎようとしています。
青山杉雨の眼
展覧会場に入ると、まず杉雨の長年にわたる収集から選りすぐられた元時代から中華民国時代に至る中国書画の展示となります。杉雨のコレクションは、書の歴史的・社会的背景となる中国文人の教養を強く意識して形作られています。最古の作品は元末の楊維禎(よういてい)の書(図1)ですが、多くが明清の文人のもので、明代の文徴明(ぶんちょうめい)、董其昌(とうきしょう)、張瑞図(ちょうずいと)と、倪元?(げいげんろ)黄道周(こうどうしゅう)、明末清初の王鐸(おうたく)、など書の歴史では著名な人物の作品が並びます。清代では傅山(ふざん)、金農(きんのう)、陳鴻寿ちんこうじゅ)、趙之謙(ちょうしけん)そして杉雨が最初に大きな影響を受けた呉昌碩(ごしょうせき)などにご注目ください。
特に傅山の「草書五言絶句四首四屏」については、杉雨がこれを入手した直後に、その筆法をもって書いた「古詩十九首其二・其四」と並べて展示し、その影響と杉雨の独創を比較しています。
絵画作品の中では、もと書と一連であった文徴明の「蘭竹図軸」、?残(こんざん)の「霧中群峰図軸」、虚谷(きょこく)の「蒔蘭植竹図巻」、20世紀に入る銭慧安(せんけいあん)「猫魚図軸」などが見所でしょうか。なお、ちょうど同時期に開催する「中国美術館展」では二十世紀に入ってからの中国美術をテーマとしますので、二つの展示を通して見ていただくと、明から現代に至る中国絵画の流れを要領よく通覧できます。

「張氏通波阡表巻」
楊維筆(部分) 元時代・至正25年(1365)
東京国立博物館蔵(図1)
青山杉雨の書
会場外からも見通せる位置に展示された「黒白相変」(図2)は、杉雨の代表作で、今回のポスターにも使われています。普段書に接していない方も、方形の画面に配置された四つの文字の構成と力強い筆の運びに圧倒されることと思います。
杉雨は最初期の伝統的な行草書から転じて、古代中国の金石文を学ぶ事により独自の書風を確立しました。特に殷代の金文をもとに制作した「殷文鳥獣戯画」「古文曼荼羅」といった作品は絵画的な構成を持ち、伝統的な書の極限的な表現となっています。
六十歳代に入った杉雨は台北の故宮博物院を訪れた際、明代の董其昌の作品に強い影響を受け、その書画論を研究して、書風を一変させます。以降、杉雨の作品は「一作一面貌」と賞賛されるほどに、多様な変化を見せるようになり、晩年に至るまで、その創作力は衰えませんでした。これだけ多くの杉雨作品が一堂に会するのは没後初めてのことで、作品の多様さと変化を実際に確認することができるでしょう。
青山杉雨の素顔
この展覧会では作品を展示するだけでなく、書家の作品ができる楽屋裏や書の教育者としての側面、あるいは意外なところに潜んでいる杉雨の書を紹介する試みも行っています。第一は実際どおりに復原された杉雨の書斎で、書家の創作の現場に直接入ってみることができます。また、弟子に書き与えた折手本は、書を学んでいる方には興味深いものでしょう。さらに杉雨は書籍の題字も揮毫しており、その目的に応じた巧みな制作にも目を見張らされます。
今回、まずは、書を学んだり、嗜んだりする方には見飽きない展覧会となることはまちがいありません。それだけでなく、これまで書に接する機会がなかったという方々も、会場を一回りすると意外な書の表現の力、訴える力を感じていただけることと思います。夏休みの一時、ぜひトーハクで「黒白」の世界に遊んでください。
(たらしまさとし・東京国立博物館調査研究課長) |