平成 25 年 5 月 18 日,国際博物館の日のための見学で上野にいきました。その前にも,買い物をするために上野に何回か行ったことがありますが , 今回は今まで知らなかった上野でした。
朝 10 時ごろ,みんな集まって,上野駅を出発しました。道すがら,両大師・上野大仏・東照宮・花園稲荷など , 上野には仕事のこと , 子育てのことなどでお祈りしたりお参りをする場所がたくさんあることがわかりました。
そして,不忍池に着きました。先生が私たちに不忍池の歴史を紹介しました。不忍池とは,もと台地の谷間に入り込んだ海が潟湖として残った池でした。寛永寺建立の際,琵琶湖になぞらえて,池の中央に弁天島を築きました。弁天島にはなんと琵琶の彫塑が立っていました。この彫刻に気づいた人はあまり多くないかもしれませんが , 由緒があると感じました。
午後みんなで下町風俗資料館にいきました。風俗資料館は , 一階と二階に展示場が分けられていました。一階の部分は,大正時代の下町の街並みを再現しています。中でも展示されていた「長屋」が目を引きました。はじめて見ましたが , なつかしい感じをして古いものであるのにたいへん美しく感じました。
外国人のわたしは , はじめてのことばを聞くと,すぐに興味を持ちます。ネットで調べて,長屋とは複数の住戸が水平方向に連なり , 壁を共有するというものだとわかりました。長屋の条件として必ず求められることは , 各戸の玄関が直接道など外界に接して , その玄関を他の住戸と共有していてはならないことです。狭い路地に面して建てられた木造の住宅は長屋の一つの特徴です。その長屋の町に立って,路地の両側の民家をみて,江戸時代の繁栄がわたしの目の前に浮かび , まるで街中を売り歩く売り子の声も耳元で響いているようでした。
日本の江戸時代はちょうど中国の清朝時代になります。中国のその時代の有名な民家建築は四合院で,日本の長屋とはまったく違います。四合院は北京の伝統的な住宅形式です。東西南北四つの方向に部屋を建て,周囲が壁で包まれています。一つの家族がこの一つの四合院で生活していますから,一つの家族は独立して存在しています。一方,長屋は壁を共有するものです。中国の四合院は伝統的な建物ですけれども,わたしにとって,長屋の方がもっと楽しそうでした。隣の人たちといっしょに生活して,いろいろ作業をしていたのは,楽しいでしょう。「遠くの親戚より近くの他人」ということばがあります。長屋のひとたちの生活の状態でこのことばが説明できると思います。
今回の見学により、わたしは上野の街がどんどんどんどん好きになりました。上野は商業が盛んなだけではなく,文化の中心ともいえると思います。外国人として,日本についてのいろいろなことが歩くことで勉強できました。それはテキストではどうしても得られない知識です。
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